「始めは妖しかとも思うたのだ。何分時刻が時刻だった故にな。だが・・・・。」
どうしても気になったのだと重信は続けた。二十三夜の頼りない月明かりを供に、独りという気持ちと恐怖心を、いい知れぬ好奇心で無理矢理払拭し、そっと陰明門の方へと歩いていったのだと、彼は告げる。今、その双眸には恐怖心は全く見えない。まだうっとりとした雰囲気を漂わせ、仄かに頬を上気させさえしていた。
「して、一体そこで何を見たのだ?」
「そう急くな。見た。というよりは、むしろ出合ったと言った方がいいやも知れぬな。」
重信は懐紙を取り出し、杯に残っていた僅かな酒をちょんと小指につけると、懐紙に"出合う"と書き付けた。その言葉が意味するのは、その対象は自分の存在を知らないということに他ならない。知らせなかったのか、知らせる機会がなかったのか、博雅は気になっていた。本当はそう焦らしたように語るのではなく、事実だけをはっきりと告げて欲しかったのだが、急くなと言われてしまった手前、黙って彼が語るに任せた。
重信の視線が外へと向き、また博雅の方に戻る。
「月明かりが少ないというのも頷けるような光景だった。」
二十三夜という理由以外に、月の明かりが少ないという理由も納得できるような光景が、陰明門の前で広がっていたのだと、重信は言う。陰明門の前に人が居り、その人物の周囲に、地上に零れた月の光がまるで吸い寄せられるように、その人物の元に集っていた。それはまるで光の繭のようだった。そう幻想的な言葉を述べながら、重信の視線は再び遠くへと移動する。
彼曰く、その、人は異国の装束を身に着けており、まるで風のように重みを感じさせない舞いを舞っていた。
「その衣服や髪に、沢山の鈴が付けられていたのだ。それらが舞う度に音を響かせていたのだ。魂を抜かれるような、そんな美しい舞いだった・・・・。」
博雅が人物の特徴を尋ねると、腰の辺りを少し過ぎたばかりの真っ直ぐな髪をしており、背はそんなに高くはなかったと重信は言った。
「服装が異国のものではなかったら、殿上童と言っても差し支えないくらいの体格だった。残念なことに顔はよく分からなかった。そして目もずっと閉じたままだった。」
心底残念そうに重信は言う。そして何もかも忘れ、暫くその舞いに見惚れていたと付け加えた。
そんな重信が我に返ったのは、その舞いに魅入っていた時、自分の後ろの方で音がし一気に恐怖心が湧き返してきたからだった。反射的にばっと振り返ってみたものの、その空間には何もなく、ただただ月光に照らされた薄暗い内裏の庭が広がっていた。しんと静まり返った空間に取り残された重信は、鈴の音がやんでいる事に気が付き、恐る恐る陰明門の方に顔を戻した。先程の舞い手に会いたいような会いたくないような複雑な気持ちを抱えながら。
振り返って誰もいないことに少しだけ安堵すると、緊張を解いた。そして宿直に戻ろうとした時、彼の視界の中で自己主張するものがあった。恐怖心と戦いながら自己主張をするものの方向へと足を進めた彼は、そこである物を拾ったのだった。
「人が舞っていた痕跡がちゃんと地には残っていた。それでも宿直明けには夢ではないかと思った。けれどもそれが夢ではない決定的な証拠があるのだ。」
重信が拾ったのは、舞い手が身に着けていたであろう一つの鈴だった。その晩拾った鈴が夢ではない証だ。と、重信はしっかりと噛み締めるように言った。例えそれが夢だとしても、そう信じたくないという思いがその言葉に含まれているようにも博雅には感じられた。
「その鈴は今何処に?」
「あまり大きくはないので、その日爾来御守り代わりに持ち歩いているのだ。今もここにある。」
博雅の問いに答えると、重信は懐をぽんぽんと軽く叩いてみせた。
「見せてはくれぬのか?」
「やはりそう言うと思った。」
二人は顔を見合わせてどちらともなく笑った。